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へぇーそうなんだ
東京・赤坂の寿司店主が食に関連する、ちょっとした豆知識を語ります。
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鮑と熨斗袋
 通常、貝の旬って言うのは春なんですよ。赤貝でもとり貝なんかも何でもだいたい春がぷりぷりしてよいネタになるんですよね。ところが鮑(あわび)は夏が旬で、平貝(たいらがい)は冬が旬なんです。今は、夏なので鮑の話をしましょう。

 江戸っ子は鮑のことを「生貝(なまがい)」って言うんですよ。築地の市場の人も、特に古い人はそう呼ぶんです。ほかの貝は死んでも食べられるが、鮑だけは死んだら食べられない。本当はそんなことないんですけどね。でも、江戸っ子や市場に古くからいる人たちはそう言います。

 鮑といえば、熨斗袋ってあるじゃないですか、あれはなんで「のしぶくろ」っていうか知ってます?昔は、年貢として各地方の殿様に米を献上してたじゃないですか。それ以外にも、その地方の特産物をその地方の殿様に献上してたものなんですね。例えば、北海道の人だったら毛ガニ、福井越前の人なら、越前ガニなんかですね。大阪の人だと鳴門の貝などを献上したそうです。

 同じように、内房、外房の千葉の人たちは鮑を殿様に献上していたんですって。鮑は、海に潜って採ってくるんですが、お城までに運んでいる間にくたばってしまうじゃないですか。ですので、保存方法として、鮑をスライスしてから、からからに干し、のして、薄べたくして、和紙に包み、「お殿様どうもありがとうございます」、と献上したんだそうです。そのほうが、日持ちするじゃないですか。中華なんかでも高級食材で使いますけれど、江戸時代の頃から鮑は高級食材だったらしいです。

 つまり、「のした鮑を包んだ袋」が「熨斗袋」なんですね。これが一般庶民にも広がり、お祝いごとがあったときにはお金でも物でも袋で包んで渡すようになったんです。たとえば、隣の娘さんがお嫁に行くときは、櫛や簪(かんざし)なんかを包んで、お祝いにあげてたものなんですね。

 ですので、昔、熨斗袋に包んだのは、お金ではなかった。それが何百年か経つうちにお金になったんですね。でも、お金になっても「金袋」って言わないですよね、いまだに熨斗袋っていいますね。
掲載日:2006年08月11日
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