先見創意の会 (株)日本医療総合研究所 経営相談
MENU
 
へぇーそうなんだ
東京・赤坂の寿司店主が食に関連する、ちょっとした豆知識を語ります。
<< 「鮑と熨斗袋」へ  「『茄子』『鯖』の話−二つの意味−」へ >>
うなぎ
 鰻って言うのは、もともと、「むなき」って言ってたらしいです。横腹に黄色い筋が入っているので、「胸黄(むなき)」って呼んでいたのが、いつの間にか訛って「うなぎ」になったとか。この黄色い筋は天然の鰻にしか入っていません。今は天然の鰻がほとんどないので、黄色の筋を見ることは、なかなか難しいと思いますよ。

 鰻と言えば蒲焼ですが、昔はこれを「がま焼き」と呼んでいたと言います。高原の湿地帯に「がまの穂」というのが咲いているんですが、これが、竹輪の形とそっくりで、真ん中に穴が空いて長いんです。今は鰻は割いてから串を打ってますが、昔は筒焼きと言って、割かずに骨ごと焼いていたものです。それが焼きあがったときの形ががまの穂にそっくりだったんです。それで「がま焼き」って言うようになったらしいですよ。

 土用丑の日は、鰻を食べて精力つけましょう、夏ばて防止に、って言うでしょう。

 でも、この「土用丑の日」に意味はないんですよ、全然。

 江戸時代に、平賀源内って言う学者がいましたが、この人の知人が鰻屋さんだったんですって。この知人が源内さんのところにきて売上が上がるようになんとか工夫知恵をかしてくれ、と相談してきたんだそうです。そしたら、源内さんが、「よし、わかった」とばかりに、「土用丑の日」と書いた紙を店の前に貼ったんだそうです。

 そしたら、物知りの源内さんが言うなら、ということで、この鰻屋さんにお客が入るようになり、商売繁盛したらしい。ほかの鰻屋もこれを真似るようになり、土用丑の日に鰻を食べるようになったんですね。かれこれ、二百数十年前のお話です。

 さて、この鰻ですが、江戸前寿司にはないんです。

 何でかって言うと、昔は、寿司ってのはご存知のとおり、今でいうところの「ファーストフード」だったんですね。道端に屋台を組んで、、、、そう、「立ち食いラーメン」と同じですよ。ちょこちょこっとつまんで帰る。今のハンバーガーなどとおんなじ位置づけの食べ物だったんですよね。

 ところが鰻は昔から高級食材だったんです。鰻はその当時からお座敷でちゃんと着物を着た仲居さんがサービスして食べる食べ物だったんですって。一般庶民は食べられなかったんです。そういう高級食材ですから、とてもじゃないけど使い切れない。当然ファーストフードの寿司屋のネタにはならなかったんですよ。

 鰻は使えないけれど、寿司屋では、代わりに穴子がありますね。穴子の上に塗る甘いタレを「煮詰め」って言うんですよ。アナゴを煮た出し汁に、砂糖や醤油を入れてコトコト煮詰める。それで、そのタレのことを「煮詰め」って呼ぶんですね。

 フランス料理のデミグラスソースも、牛筋や玉葱などの野菜を入れて煮込んで、それをハンバーグにかけたりするじゃないですか。同じですね。

 煮詰めの話をしたのでついでにお話しすると、昔の江戸前寿司には、生食はなかったんです。鮪(まぐろ)は醤油につけたり、小肌は塩と酢でしめたり、海老はボイルする、といったように必ず加工していたものなんです。

 今は穴子の煮詰め一種類なんですが、かつては、お店によって何種類もの煮詰めをそろえていたようです。昔は、烏賊(いか)も蛸(たこ)も蛤(はまぐり)も全部煮てたんですね。そうすると、煮汁が出るじゃないですか、それに砂糖や醤油を入れて煮詰めるわけです。これは蛸の煮詰め、これは蛤の煮詰め、、、、、とやっていたらしいですよ。

 鰻は「お座敷」で、寿司は「屋台」でってお話しましたよね。

 寿司は、屋台で立って食べてたわけです。テーブル席なんかなかったんですから。

 でも、むかしは「カウンター」って言う言葉なかったんですよ。英語ですので、当然ですね。ですので、今で言うカウンターのお客様のことを昔は「立ち喰いのお客様」って呼んでたんだそうです。

 ですので、七十代、八十代の古くからの職人さんは今でもカウンターのことを、「立ち」って言うんですよ。「今日の‘立ち’は予約何人はいってるんだ」って調子で。

掲載日:2006年08月18日
(C)2005 shin-senken-soui no kai all rights reserved.