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コラム
今週のテーマ
 
(掲載日 2007.12.11)
<舞台> アジアのとある国
<設定> 大きな内戦が終わってから60年がたった。その内戦は民族対立に端を発し、10年にわたった。疲れ果てた国民は難民として周辺国に流れ出し、周辺国の治安悪化が進んだ。対立していた国民は、強い外圧を受けてようやく和解したのだった。もともと勤勉な国民で、交通の要衝にも位置していたため、戦後60年でその国は急速な発展を遂げた。その一方で、国民の間に新たな火種ができている。それは「年金問題」だった。
<主な登場人物>
 ○東都大学准教授・・・西山勘助(にしやま・かんすけ)
 ○保険勤労省年金局企画課課長補佐・・・斎藤誠太郎(さいとう・せいたろう)
 ○夕刊紙「毎夕新聞」の記者・・・島谷涼風(しまたに・すずか)
 ○保勤省年金局数理調査課・・・三森数馬(みつもり・かずま)
 ○年金問題に執念を燃やす政治家・・・西郷竜一郎(さいごう・りゅういちろう)
 ○与党 民自党党首・・・川上一太(かわかみ・いった)
※ 日本人に読まれることを想定しているため、日本的な名前にしているが、他意はない。
<< 第十話「年金のウソ」 
<前回までのあらすじ>
自殺した保勤省年金局の三森数馬が書き残した「数馬の日記」が出版された。その日、セントラル市の主な駅の売店に並んだ日記を、早朝から買い占めていく男たちがいた。毎夕新聞デスクの西ノ宮章があとをつけると、男たちは保勤省の研修所に入っていった。
 
 保勤省の研修所に続々と「数馬の日記」を持った男たちが入り、出ていく。そして、時々、研修所から出るトラックは、荷台にしっかりとカバーがかけられている。

 張り込んでいた毎夕新聞デスクの西ノ宮章は、島谷涼風にマイカーで近くまで来るように連絡をとった。涼風の車で研修所から出る1台のトラックを追跡すると、郊外の倉庫に着いた。それは、文芸東西が契約している倉庫だった。

 文芸東西は、官僚のウラ事情を中心としたいわゆるゴロ雑誌としては、最も売れている。大きな法改正があった時に官僚が監修する解説本を出すことで、官僚にも合法的に資金を流し、太いパイプを作り上げてきた結果だ。

 その倉庫には、新刊本もさることながら、売れずに返品される本も大量に持ち込まれる。

 トラックは倉庫の中に入り、荷台のカバーが外された。そこには、大きさがそろった雑誌大の本が大量に積まれていた。

 西ノ宮は、涼風に運ばせた望遠レンズにつけかえていた愛用のカメラのシャッターを切り続けた。芸能人や政治家のスキャンダルの現場を数え切れないほど撮ってきた西ノ宮の腕の見せ所だった。写真には、「数馬の日記」の表紙がバッチリと写った。

 「このあと、どうなるんですか」と涼風。

 「返品される本と同じように裁断されて、段ボール工場か製紙工場に行くんだろう。発売当日のうちに、段ボールやトイレットペーパーの原料になる本なんて、聞いたことないぞ。

 やめた絹田次官は、文芸東西が年に一度開く『政策発展パーティ』で毎年あいさつをしている。おそらく、絹田と文芸東西の大西史和社長が仕掛けたことだろう。とんでもないやつらだ」

 そう言いながらも、西ノ宮の口元は緩んでいた。それもそのはず、こんなにわかりやすいスクープはめったにない。それに、保勤省がここまでする本は、当然、大きな話題になる。西ノ宮は携帯電話を取り出して、電話をかけた。

 「予定通りに200万部、増刷してください」「そうです。新しいバージョンで」
 翌日の毎夕新聞は、当然のように、このネタが1面トップを飾った。
 「現代の焚書/保勤省職員が『数馬の日記』を買い占め/トラックでゴロ雑誌の倉庫へ/清田前次官が指示の疑い」
 記事は、次のような書き出しで始まった。

 25日に毎夕新聞社が発売した「数馬の日記」を、保勤省は職員を早朝から大量動員して買い占めていた。「数馬の日記」は、ゴロ雑誌「文芸東西」の倉庫に運ばれ、裁断されたと見られる。

 権力による国民の「知る権利」の妨害で、「現代の焚書」といえる。毎夕新聞社は保勤省に強く抗議するとともに、事件の首謀者と見られる絹田清明前次官を偽計業務妨害の疑いで告訴する方針を決めた。

 翌日には、増刷された「数馬の日記」が店頭に並んだ。
 タイトルには副題が追加された。「年金の不都合な真実」。

 翌日以降も売れ行きは好調で、最初の130万部を含め、330万部が完売することになる。毎夕新聞としては空前絶後のベストセラーとなった。

 当然、西郡光彦編集局長はごきげんだ。
 「さすがに、こんな展開になるなんて、思いもよらなかったなあ。西ノ宮君はいつから気づいていたんだ。ちょっと人が悪いぞ、キミは」

 「すみません。さすがに確信がなかったもんですから。でも、島谷の1回目の記事が飛ぶように売れたじゃないですか。あの時から、どうもおかしいな、と思っていたんです。やっぱり年金の話は難しいですからね」

 そのころ、涼風は絹田前次官の家の前にいた。当然、大手メディアの記者たちも大勢がつめかけた。そこに、黒塗りの車がやってきて、数人の捜査員が絹田前次官を連行した。

 同じころ、文芸東西の本社でも家宅捜索が行われていた。毎夕新聞の告訴を受けたものだが、素早い反応は、この事態を長引かせて自殺者が出たりすることを防ぎたいという捜査当局の判断も働いたものと見られる。

 また、グランド・セントラルホテルに潜んでいた斎藤誠一郎・年金局企画課課長補佐の部屋にも、逮捕令状を持った捜査官が現れた。

 容疑は「傷害致死罪」。

 数馬の心を傷つけて、自殺に追いやったことが罪に問われることになったのだ。PTSD(心的外傷後ストレス障害)が、数馬の日記によって裏付けられ、その結果の自殺であるから、傷害致死であるという理屈だが、これは、世論を見方につけたい捜査当局の表向きの理由。捜査当局のねらいは別にあった。

 ともあれ、テレビ、新聞は大騒ぎになった。
 そして、毎夕新聞は、次の記事をトップに載せた。

 26日に傷害致死容疑で逮捕された保勤省年金局企画課課長補佐の斎藤誠一郎容疑者は、逮捕前の24日、毎夕新聞との単独インタビューに応じた。

 保勤省年金局の三森数馬さんの母、洋子さんの記者会見が23日に開かれたグランドセントラルホテルに潜んでいたところを毎夕新聞記者が見つけ、インタビューを申し入れた。

 主なやりとりは次の通り。

 ---三森数馬さんの日記に書かれていることは本当のことですか。
 「そんなことを言われても、現物を見ていないのでわからない」

 ---これまで毎夕新聞が報じてきたことを読んでいるのではありませんか。
 「やはり、現物を見ないことにはわからない。いろいろと、文脈もあるでしょうし」

 ---読んでみませんか。(記者がコピーを手渡そうとする)
 「私自身も気持ちの整理がついていないので・・・。もし、落ち着いて読むことができる時が来たら、改めてお願いして読ませてもらいます」

 ---数馬さんの自殺について責任を感じていますか。
 「私には関係ない。ちょっと厳しい指導をしたことはあるかもしれないけど、私も経験してきたことだ」

 ---天下り先から風俗店で接待を受けていたようですね
「コメントできません。感情的な反応が返ってくるだけですから。あなた方マスコミは、何を書いても許される」

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