| (掲載日 2008.06.17) |
<舞台> |
アジアのとある国 |
<設定> |
大きな内戦が終わってから60年がたった。その内戦は民族対立に端を発し、10年にわたった。疲れ果てた国民は難民として周辺国に流れ出し、周辺国の治安悪化が進んだ。対立していた国民は、強い外圧を受けてようやく和解したのだった。もともと勤勉な国民で、交通の要衝にも位置していたため、戦後60年でその国は急速な発展を遂げた。その一方で、国民の間に新たな火種ができている。それは「年金問題」だった。 |
<主な登場人物> |
○東都大学准教授・・・西山勘助(にしやま・かんすけ)
○保険勤労省年金局企画課課長補佐・・・斎藤誠太郎(さいとう・せいたろう)
○夕刊紙「毎夕新聞」の記者・・・島谷涼風(しまたに・すずか)
○保勤省年金局数理調査課・・・三森数馬(みつもり・かずま)
○年金問題に執念を燃やす政治家・・・西郷竜一郎(さいごう・りゅういちろう)
○与党 民自党党首・・・川上一太(かわかみ・いった)
※ 日本人に読まれることを想定しているため、日本的な名前にしているが、他意はない。
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<前回までのあらすじ> |
保険勤労省年金局数理課の三森数馬の日記を読んだ国民福祉庁職員の跡出直輔は、国福庁幹部に問題点を訴えたが相手にされず、年金問題の追求で知られる下院議員の西郷隆一郎の事務所に駆け込んだ。跡出から国福庁のコンピューターの実態を聞いた西郷は、年金論議に関心が集まる国会で「税方式がいいだの保険料方式がいいだの、したり顔で適当なことを言っている」と言ってのけた。 |
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下院議員、西郷隆一郎の発言は反響を呼んだ。はじめは年金学者の間でのことだったが、すぐにちょっとした騒ぎになった。
年金は税金でまかなうべきか、保険料でまかなうべきか――。学者にとってはきわめて大切なことを、西郷は「したり顔で適当なことを言っている」と言ってのけたのだから、これは許せない。保険料派も、税金派も、一斉に西郷に批判の声をあげたのだ。
さっそく、一流紙のセントラル新聞にセントラル大学教授、東山主税の投稿が載った。東山は、税方式を代表する学者で、保険勤労省の国民福祉審議会の委員でもある。
議会下院での、西郷隆一郎議員の発言に驚いている。税方式か、保険料方式かについて「適当なことを言っている」などとする発言だ。年金制度の根幹について、国会議員がこの程度の認識かと思うと、この国の行く末が案じられる。
税方式にするか、保険料方式を続けるかは、国民生活のありようを根本から考える作業で、決して軽く扱えるものではない。
税方式にするとして、消費税に頼れば、高齢者を含め、国民全体で負担をすることになる一方、保険料の徴収にかかわる経費が減り、国民全体としての負担は減る可能性がある。
一方、企業負担の負担が減るという指摘があり、企業に生まれた負担余力をどう扱うかも考えないといけない。
現行の保険方式は、働き方によって保険料負担のあり方が変わってくるため、労働市場をゆがめている可能性がある。
消費税だけで税方式を実現しようとすると、生活必需品への課税のあり方を考えないといけなくなる。ことほどさように、国民生活全般にかかわる問題なのだ。
西郷議員が指摘するように、保険料を集めても、それが適切に管理されていない問題や、徴収がきちんとできていないという現場の執行の確からしさも大きな課題だ。
それとて、税方式か保険方式かを決めることで解決の糸口をつかむことができる可能性がある。
国民的な議論を積み上げていかないといけない時にきているのに、それに水をさすような発言は、民主主義の担い手である国会議員としての資質さえ疑わせるものといえる。
この投稿が載った翌日、西郷は東都大学の西山勘助准教授と会った。
「西郷さん、こっぴどくやられてましたね。大丈夫ですか」
「いやいや、まあ、こんなもんでしょう。それよりも、セントラル新聞から反論を書かないかというオファーが来ているんですよ。どうしたもんですかね」
「まだ、刺激が足りないんじゃないですか。もう一押ししたほうがよいと思いますよ」
「西山先生もそう思いますか。じゃあ、もう少し、いたずらをしますか」
「では、私は私なりの方法で、後方支援しましょう」
2日後の毎夕新聞には次の記事が載った。
セントラル大教授が“激怒”する年金論戦 センセイから先生に“伝染”
下院議員、西郷隆一郎センセイ(48)の心ない一言が、大学の先生たちをいたく傷つけた。
6月3日の下院で「税方式がいいとか、保険方式がいいとか、したり顔で適当なことを言っている」と発言したことが、マジメに議論している教授先生たちの琴線に触れてしまったのだ。
怒ったセントラル大学の東山主税教授(56)は、4日後のセントラル新聞に、いかに税方式か保険料方式かの議論が大切かを説く「論文」を掲載。「国会議員としての資質さえ疑わせる」と攻撃した。
当の西郷センセイは「税でも保険料でも、国民にとっては同じこと。セントラル新聞が反論を掲載してくれると言っているので、そこで詳しく伝えますが、いまの国福庁に国民のカネを預かる資格があると思いますか」と、反撃に意欲満々だ。
セントラル新聞も「いま、議員に依頼しているところで、近日中に掲載の予定です」(広報部)と、答えている。年金制度は国民のものだ。わかりやすい議論が繰り広げられることを期待したい。
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そして、その3日後、セントラル新聞は、西郷の次の投稿を載せた。
6月6日の本欄で、セントラル大学の東山主税教授が、議会下院での私の発言を批判された。確かに、私は、税方式か保険料方式かの議論は不毛であるという発言をした。ここでは、現時点においてなぜ、そう考えるかをお伝えしたい。
まず、年金記録に膨大な数の間違いがあることを指摘したい。保険勤労省の国福庁は、保険方式で年金を支給するために、保険料を集め、記録をつけている。その記録がきちんと管理されていない。
この間違いの多くはコンピューターシステムに起因している。年金制度ができて、膨大な記録が集まってくる中で、その処理方法が確立していなかったことが最大の問題点だった。
50年前に大型コンピューターが導入されたが、そのころのコンピューターは、極めて使いにくいものだった。その結果、処理が遅れがちとなり、コンピューターへの入力が正しいかどうかの確認ができていない。
そして、50年の月日が流れ、年金受給者が増えてくると、最初は「コンピューターで処理しているんだから間違いないはずですよ」と言えば納得していた人たちの間にも、不満の声が高まってくる。
さらに、国福庁は、楽に集められる会社からの保険料は集めるが、払いたがらない会社は放置している。会社の数にすれば、半分が払っていないと見ることもできる。
中堅以下の会社が多いので、従業員の数にすれば2割程度になるが、本来なら勤労者年金に入るべき人たちが抜け落ちている。
このようなザル官庁に、税金だろうが、保険料だろうが、渡したくないというのは当然のことだろう。年金制度は、いかに効率的にカネを集めて、公平に配るかが、ポイントだ。まずは、現場の声を聞くことから始めるべきだ。
この投稿をきっかけに、西郷は、さまざまなテレビ、新聞、雑誌に登場し、シンポジウムで話した。テーマは、「使える年金制度」だった。
多くの人にとって、いまの年金制度はわかりにくい。それゆえに、制度を理解しようとする人が少なく、年金は物好きな「プロ」が扱うものとされていた。
「税方式か保険料方式かなんて議論はどうでもいい」という西郷の主張ははっきりしていて、誰もが聞きたがったのだ。
それは、自分たちが払ったカネが、老後にどのように反映されるのかを知りたいという当たり前のことだったが、これまでは難しそうなことを聞かないと、「本題」に入れないのが「お約束」だった。
しかし、西郷は違った。まず、こう話すことから始めたのだ。
「税だ保険だといいますが、いまの年金は、税も保険も入っている制度なのです。そして、制度の矛盾をうまく言いくるめてこれまで続けてきました。続けてきたことは評価しましょう。
老後の生活を国民みんなで支えることは大切です。老後だけではありません。みなさん、いまの生活がずっと続くという自信がありますか。あす、大きな事故にあうかもしれない、何かで失敗して職を失うかもしれない。
そんな不安を少しでも減らす制度でなければなりません。そのためには、きちんと整理し直す必要があるのです」
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