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国家主導の生命工学がもたらした悲劇 |
−バイオ・コリア国家プロジェクトのひとつの帰結−(下) |
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日本医科大学・生殖発達病態学講師 澤 倫太郎 |
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この1ヶ月、この騒動に対して、まるでジェットコースターのように乱高下する韓国世論と、その裏に潜む、世論支配のツールとしてのブログの存在は、なんとも不気味である。
この騒動の背景をもう少し、時代を遡って、俯瞰してみよう。
■バイオ・コリア計画の歴史
ことのはじまりは、1994年に韓国で開始された「バイオテク2000生命工学育成基本計画」に遡る。この計画では、第1段階(1994−1997)、第2段階(1998−2001)、第3段階(2002−2007)の14年間に、民間投資も含めた総計16兆924億ウォンの投資をつぎ込んできた。
政府は2001年を「バイオ・コリア元年」とし、ナノ技術、情報技術とならんで、生命工学技術を3大技術として選定し、21世紀の戦略的輸出産業とするべく、集中育成してきたのである。
法整備の面でも、1984年制定以来、2003年までに計6回の改訂をされた生命工学育成法(産業界の意向を受けた議員立法)は、その誕生の経緯から、安全性や倫理面に重点がおかれたものではなく、あくまでも産業の育成に焦点を絞ったものであった。
一方で2002年にイタリアの科学者がヒト・クローン胚による妊娠を発表、同医師の意を受けるクロネイド社の韓国支部が設立されたことがきっかけで、人間複製の糾弾と生命倫理法制定を求める市民キャンペーンが沸き起こった。
これを受けて、韓国科学技術部(日本の旧・科学技術庁)が、有識者会議を組織し、立法を前提に「生命倫理基本法骨子案」を諮問した。一方で日本の厚生労働省にあたる保険福祉部でも「生命倫理安全法案」の策定を進めた。
科学技術部案が人間複製禁止、幹細胞研究に限定した議論であったのに対し、保健福祉部案では、胚の管理体制に加え、配偶子の売買禁止や、遺伝情報の取り扱いまで及ぶ統一法であり、結局は省庁間合意を得られなかった。
不思議なデジャブがある。ほぼ同時期、日本においても、文部科学省・生命倫理安全対策室が単独でクローン技術規制法をつくり、まったくの縦割りで、厚生労働省が、「非配偶者間の精子・卵子を用いた生殖補助医療に関する規制法」を立案したが、法制化には至らなかった。韓国の省庁編成は、戦前の日本支配の頃の構造を、そっくり継承したものであるが、縦割り行政の弊害までが、日本とうりふたつである。
当然、韓国においても、「生命倫理法」の制定までは紆余曲折があった。人間の尊厳を重視する立法化の要求と、生命工学への公的規制は研究・産業育成を妨げるという、異なる保護権益の討論において、合意は得られるはずもなく、最終的には、国務調整室(内閣府)で一本化され、2003年12月29日に国会を通過、翌2004年1月29日に公布されたのが「生命倫理および安全に関する法律」である。
第1条には「本法は、生命科学技術においての生命倫理および安全を確保し、人間の尊厳と価値を侵害し、あるいは人体に危害を与えることを防ぎ、生命科学技術が人間の疾病予防および治療等のために開発・利用できる条件を助成することで、国民の健康と生活の質の向上に貢献することを目的とする」とある。
やはり研究の推進と保護が、法文の背骨になっているのである。言い換えれば、すでに10年、20年の単位で、練り上げられてきた国家戦略と、つぎこまれてきた資金額を考えれば、もはや被験者保護などという国際基準を理由に、後戻りはできない事情があったのである。
韓国初のノーベル医学賞候補とまで、国民の期待を集めてきた黄教授の研究への姿勢に、この国家戦略の重圧が影響していたことは、明らかであろう。法が先に走る、国家戦略が先に走ることは、特に医学研究の分野に限って言えば、決してプラスには働かない。日本政府が「知財立国」をうたい、あきらかに時代遅れな(生産性がないことは、知財先進国の米国が一番知っていた)医療行為そのものの特許にまで手を染めようとした「おろかさ」にも通底する。
「学問に国境はない」という言葉の真意は、国家がすすめる研究という領域では、しばしば研究そのもののもつ流動的な活性(ダイナミズム)が失する結果をうむことを指しているのだ。ナチス・ムーブメントの中のゆがめられた臨床遺伝学の帰結と、それが遺伝学研究にもたらした負の遺産を、私たちは忘れてはいけない。
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