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コラム
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「ゆらぎのなかの研究倫理」 河原 ノリエ
(掲載日 2006.01.17)
 昨年11月、韓国、日本のES細胞、ヒト胚の研究倫理を巡る調査研究のヒアリングの一部に同行したのち、ワシントンD.C.まで、米国の研究の公正さを護るしくみについての調査に出向いた。韓国側の研究現場は、この時点でもうすでに黄教授の論文が捏造であることが表に出ることを覚悟していたと思われるが、それを踏まえて調査のためのインタビューを行なった。

 報道で伝えられているように、多額の科学予算がつき、国益をかけての戦いであっただけに、韓国側の落胆は大きかった。これは研究のガバナンスの問題である。

  米国において、わたしは、いかなるときに研究者のこころにミスコンダクトに繋がる「ゆがみ」が生じるかついて調べた。米国には、研究者集団に移民が多く、ゆがみが異常なふるまいにつながることも、恣意的な捏造が起こり得るものであることも、公の場で議論できる土壌がある。研究公正局というインフラが整備され、研究の公正さが保たれているかを監視する眼差しも持っている。

■風通し悪い日本の研究倫理の議論

  日本では、莫大な生命倫理予算がついてはいるものの、この研究倫理ということを公に議論するだけの風通しの良さはまだない。阪大、東大と不祥事が報道されたが、メディアも追及の手を止めている。

 ミスコンダクトが論文の質の問題にとどまらず、薬害の温床という社会的な問題にもなる話であるという認識がないのだ。
 
  研究者のゆがみの原因の多くは予算配分である。日本において、研究者は韓国の研究者と同様に、国という一元化したファンディングボディー(funding body)から予算を獲得せねばならず、ミスコンダクトにつながる「ゆがみ」が生じやすい。一方で、アメリカには多様な支援機関が存在し、研究内容の多様性につながっている。

 ミスコンダクトの原因のもうひとつが、経済的利益を得る可能性を研究者が持ちえた場合、つまり利益相反の場合である。

  米国では、米国国立衛生研究所(NIH)の利益相反の問題を中心に取材してきたのだが、疑う余地のない、利益相反の概念の運用やフェアでないことを許さないという考え方は根強い。まがりなりにも、粉飾決算の果てに破綻したエンロン社の問題があった国である。ここ数年、そうしたものの見方はぐっと厳しくなっている。

■「もたれあい」の産官学連携

 この問題意識を輸入しても、この国は、もともと利益相反なんていう概念とは無縁の国である。

 日本は 原子力行政ひとつみてもそうだけれど、まず、官庁の規制政策も、利益相反なんていう概念を意識することはない。ある分野において利益と力をもつ集団にすべて丸投げし、なんとかしてもらうのが通例だ。

 原子力安全会議だって「デキレース」でずっときたし、ともかくこの国においては、産業政策に絡むものは、民間の動きやすいようにお手盛りで規制をつくってきた。

 バイオは医療制度と密接だし、人体という背負ってる荷物の重さからいって、政府の役割は大きいものだけど、お金を出しているファンディングボディーと、規制官庁がおんなじなんていうこと自体、やっぱり、おかしい。

 もたれあいのなかで産官学連携をやっても、みんな、官庁がなにを言うのか、お顔覗き込みながら、産官学癒着をやっている。大学の独立法人かなど名ばかりで、サイエンスの中央集権化が進んでいる。

  多額の予算をもらっている研究者ほど、みんな国益っていうことすぐ口にするけれど、国家のもと、公正な判断のもとに身をさらす覚悟のあるやつしか、国益なんていえない。

 私益の総体が国益になるってことはありえないのだ。われわれは、研究者のてのひらのうえにあるものが、実にゆらいでいるという、この現実をもっと見つめるべきである。
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