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(掲載日 2010.08.31) |
疾患に伴う苦痛の種類はいろいろあり、また、同じ種類の同じようなレベルの苦痛でも、痛み自体にも痛みの感じ方にも個人差がある。
識者によると(恒藤暁:最新緩和医療学、最新医学社、1999)、がん疾患に伴う苦痛の種類として、痛みや呼吸困難、全身倦怠感などの身体的な苦痛、怒り、不安、うつなどの精神的な苦痛、地位や社会的立場の喪失、医療費の支払い問題などの社会的な苦痛、そして人間の存在の意義に深く根ざした心の問題としての霊的な苦痛があるとのこと。
また、痛みは脳で感じる。ものの本によると、痛みの情報は、まず皮膚などに入り込んでいる末梢神経が受け取り、脊髄を通って、脳の中の視床を介して、大脳に伝えられる。大脳の体性感覚野という部位が痛みの情報を受けると痛みを知覚し、右脳と左脳が接している辺りの前部帯状回という部位が痛みの情報を受けると苦痛を感じる、のだそうだ。そして、自分が痛い思いをしていなくても、他の人が痛い思いをしていると想像するだけで、本当に自分が痛いときと同じように脳部位が活動するとのこと。つまり、痛みには知覚の側面と情動の側面があり、こういった様々な要因が個人差に関与しているらしい。
まさに、痛みに対する感受性は十人十色、さらに、痛みを抑える鎮痛剤の感受性にも個人差がある。WHOががん疼痛治療指針(1986年)の五原則の一つに「患者ごとに鎮痛薬の適量を求めること」を挙げている所以である。
緩和ケアの実践の場では、だから、痛みを中心とする症状の評価(初期アセスメント)が必要であり、適切な治療法の選択がなされ実践された後も治療効果を継続的に評価する継続アセスメントが行われることが求められる。
2002年、WHOは緩和ケアを次のように定義:「生命を脅かす疾患に伴う問題に直面する患者と家族に対し、疼痛や身体的、心理社会的、スピリチュアルな問題を早期から正確にアセスメントし解決することにより、苦痛の予防と軽減を図り、生命の質(quality of life)を向上させるためのアプローチ」。
この定義の焦点は「身体や心の辛さ」にあてられている。したがって、緩和ケアの必要な時期についても決して終末期に限定されず、患者の身体的、心理社会的な症状の緩和が必要な時期であればいつでも行われるべきということになる。
わが国においても、2007年(平成19年)4月、「がん対策基本法」が施行され、緩和医療の重要性が認識されるようになった。条文上もその第16条において「国及び地方公共団体は、がん患者の状況に応じて疼痛等の緩和を目的とする医療が早期から適切に行われるようにすること、居宅においてがん患者に対しがん医療を提供するための連携協力体制を確保すること、医療従事者に対するがん患者の療養生活の質の向上に関する研修の機会を確保すること、その他のがん患者の療養生活の質の維持向上のために必要な施策を講ずるものとする」と規定されている。
ところで、日本人の死因のトップはがん。現在、日本では年間110万人以上の人が死に、そのうち、約3分の1の34万人以上の人ががんで亡くなっている(先進7カ国の中で、日本ほどがん死が増えている国はないことも事実)。
これらのがん患者が死亡までに蒙る苦痛には、呼吸困難、全身倦怠感、不眠などがあるが、最も多いのが痛みとされている。この痛みについては、死亡までに何らかの痛みを感じる患者はその80%程度に達し、放っておけば七転八倒するような痛みに苛まれる患者は50%にも上ると判明。そして、このような激しい痛みの患者のうち、十分な鎮痛処置を受けている患者は数%であるとのこと。鎮痛薬の使用量が先進国中最低であることがその証左かもしれない。我が国の現状は改善されるべきだが、医療界の動きは鈍い。
スリランカ初期仏教の長老によると、病を治すには病とうまく付き合うしか方法がないとのこと。付き合うとは、その病に対し怒りを持たずリラックスすることだという。自分が自分の体から離れて、外から観察する。たとえば、この体の胸の方が痛いと。心の中で体のありのままを事実として、細かく観察。「痛み、痛み」と痛みをそのまま明るい気持ちで、自然の流れとして観察。一種の瞑想。こうすれば痛みから解放されるという。
苦痛にゆがむ国民は、形式ばかりで実が伴わない我が国医療からスリランカ仏教に乗り移るしか手がないのだろうか。
諏訪中央病院の鎌田實先生の『がんばらない』を手にした。病院主導のもと地域ぐるみで緩和ケア、在宅ホスピス、在宅での看取りが行われている様が書かれている。諏訪に行くしかないか・・・
--- 岡光序治(広島県在住)
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